三題噺:「貯蓄から投資へ」、「マネー資本主義」、「格差社会」
菅総理は「自助」が大事と言っておられましたが、この発言は評判が悪いことに気づいたようで、最近は「自助、共助、公助のバランス」と言い換えておられるようですが、では、どういうバランスか良いのかは言わないようです。
ご本人の人となりから、総理の信念は、矢張り「自助」重視のバランスなのだろうと推察する人は多いでしょう。
ところで今は新型コロナが大問題ですが、1~2年たてばコロナ問題は過去のものとなり、矢張り本格的な経済成長や、それによる老後不安の解消といった問題が最大の関心事に戻ってくるでしょう。
・・・・・・・・
さてそこで三題噺に入りますが、
熊公「政府は貯蓄から投資へ」って言ってるが、どうすりゃいいのかねえ」
八さん「俺の若い頃は“銀行よさようなら、証券よ今日は” なんてのがあったから、貯金なんかやめて株を買えってことじゃねえかなア」
熊公「それってカネのある人の話だろうよ」
八さん「そりゃそうだ、宵越しのカネもねえ俺たちにゃあ関係ねえ」
という事で、ゼロ金利の銀行頼みではなく、株式や投資信託で老後に備えなさいというのが政府の方針のようです。
銀行預金では損はしませんが、株や投信の方は、儲ける人も損する人も出ます。ネットで「株式投資で儲ける法」は山ほどありますが、当てになるかどうか。大体ある程度の資金がないといけません。失敗しても自己責任ですから「自助」の典型でしょうか。
投資は通常、資金量の大きい方が有利と言われます。金持ちはますます富み、カネがなければチャンスもない格差拡大の世界です
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熊公「最近マネーて言うやつが多いけど、マネーってカネの事だろう?なんでマネーなんだよ」
八さん「ありゃーな、べラボーな金持ちたちがカネでカネを儲けようとカネの取引をするんだな。投資だなど言ってやがるが、ありゃ投機、賭け事だね。アメリカから流行って来たから、カネと言わずにマネーというんだろうさ」
実物資本主義がマネー資本主義になりつつあるようです。投資とは言いながら、モノやサービスを創らないでも(付加価値の生産をしない)先物、レバレッジ、デリバティブなど金融工学を駆使して「カネでカネを儲ける」いわゆるマネーゲームです。
金額から言えば、GDPなどの実物経済より、ずっと巨大な金額が動いています。政府のやっているGPIF(年金積立金運用法人)なども、何も価値を創っているのではなく、巨大な投資(投機)マネーを少しでも自分の所に振り替えるように努力しているのです。
投資銀行やヘッジファンドなどの機関投資家は、いくら稼いでも満足することはありません。金を稼ぐために金が必要なのですからいくら稼いでももっと稼ぐために金が必要なのです。満腹を知らない、おカネの餓鬼道に堕ちたようなものでしょう。
こうしてマネー資本主義の世界では成功者には巨大な報酬が支払われ、例えば、アメリカでは上位1%の持つ資産が下位90%の持つ資産より多いといった現象が起きているのです。
・・・・・・・・
熊公「八さん、あんた何でも知ってるようだから教えてくれェ。最近、松公が「格差は怪しからん」て怒っていたけど、格差って何だい」
八さん「俺たちゃ貧乏人だ。大家さんは金持ちだ。金持ちと貧乏人の差が「格差」だ。
熊公「そりゃ大家さんは金持ちだよ、でもな、だから家賃が滞って待ってくれるし、病気になれば医者も呼んでくれる。嫁さんも世話してくれるかと待ってんだよ。大家と言えば親も同然。昔からそういうだろう」
熊公の言によれば、昔の長屋はまさに「共助」の世界ですね。大家さんは店賃で裕福に暮らしているのかもしれませんが、店子の面倒はよく見るようです。
これを国に拡大すれば「福祉国家」という事になるのでしょう。
しかし歴史を見れば、先日も書きましたように格差を放置すれば、革命か政権交代でしょう。場合によっては、争乱や略奪、内戦も起こります。
権力は格差社会を好み、大衆の犠牲において権力者が自らの権力の永続を図るようです。これを政治権力で行って国が破滅するのが歴史から学べるところです。
しかし、資本主義の変貌によって、政治権力以外に、マネーゲームの活用によって、格差を作り出すという新しい問題が、マネー資本主義と共に起きてきています。
日本国民は、自分たちが「自助、共助、公助」のどんなバランスを望んでいるのかを菅総理に、真摯に、丁寧に教えてあげる必要があるようです。
菅総理は「自助」が大事と言っておられましたが、この発言は評判が悪いことに気づいたようで、最近は「自助、共助、公助のバランス」と言い換えておられるようですが、では、どういうバランスか良いのかは言わないようです。
ご本人の人となりから、総理の信念は、矢張り「自助」重視のバランスなのだろうと推察する人は多いでしょう。
ところで今は新型コロナが大問題ですが、1~2年たてばコロナ問題は過去のものとなり、矢張り本格的な経済成長や、それによる老後不安の解消といった問題が最大の関心事に戻ってくるでしょう。
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さてそこで三題噺に入りますが、
熊公「政府は貯蓄から投資へ」って言ってるが、どうすりゃいいのかねえ」
八さん「俺の若い頃は“銀行よさようなら、証券よ今日は” なんてのがあったから、貯金なんかやめて株を買えってことじゃねえかなア」
熊公「それってカネのある人の話だろうよ」
八さん「そりゃそうだ、宵越しのカネもねえ俺たちにゃあ関係ねえ」
という事で、ゼロ金利の銀行頼みではなく、株式や投資信託で老後に備えなさいというのが政府の方針のようです。
銀行預金では損はしませんが、株や投信の方は、儲ける人も損する人も出ます。ネットで「株式投資で儲ける法」は山ほどありますが、当てになるかどうか。大体ある程度の資金がないといけません。失敗しても自己責任ですから「自助」の典型でしょうか。
投資は通常、資金量の大きい方が有利と言われます。金持ちはますます富み、カネがなければチャンスもない格差拡大の世界です
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熊公「最近マネーて言うやつが多いけど、マネーってカネの事だろう?なんでマネーなんだよ」
八さん「ありゃーな、べラボーな金持ちたちがカネでカネを儲けようとカネの取引をするんだな。投資だなど言ってやがるが、ありゃ投機、賭け事だね。アメリカから流行って来たから、カネと言わずにマネーというんだろうさ」
実物資本主義がマネー資本主義になりつつあるようです。投資とは言いながら、モノやサービスを創らないでも(付加価値の生産をしない)先物、レバレッジ、デリバティブなど金融工学を駆使して「カネでカネを儲ける」いわゆるマネーゲームです。
金額から言えば、GDPなどの実物経済より、ずっと巨大な金額が動いています。政府のやっているGPIF(年金積立金運用法人)なども、何も価値を創っているのではなく、巨大な投資(投機)マネーを少しでも自分の所に振り替えるように努力しているのです。
投資銀行やヘッジファンドなどの機関投資家は、いくら稼いでも満足することはありません。金を稼ぐために金が必要なのですからいくら稼いでももっと稼ぐために金が必要なのです。満腹を知らない、おカネの餓鬼道に堕ちたようなものでしょう。
こうしてマネー資本主義の世界では成功者には巨大な報酬が支払われ、例えば、アメリカでは上位1%の持つ資産が下位90%の持つ資産より多いといった現象が起きているのです。
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熊公「八さん、あんた何でも知ってるようだから教えてくれェ。最近、松公が「格差は怪しからん」て怒っていたけど、格差って何だい」
八さん「俺たちゃ貧乏人だ。大家さんは金持ちだ。金持ちと貧乏人の差が「格差」だ。
熊公「そりゃ大家さんは金持ちだよ、でもな、だから家賃が滞って待ってくれるし、病気になれば医者も呼んでくれる。嫁さんも世話してくれるかと待ってんだよ。大家と言えば親も同然。昔からそういうだろう」
熊公の言によれば、昔の長屋はまさに「共助」の世界ですね。大家さんは店賃で裕福に暮らしているのかもしれませんが、店子の面倒はよく見るようです。
これを国に拡大すれば「福祉国家」という事になるのでしょう。
しかし歴史を見れば、先日も書きましたように格差を放置すれば、革命か政権交代でしょう。場合によっては、争乱や略奪、内戦も起こります。
権力は格差社会を好み、大衆の犠牲において権力者が自らの権力の永続を図るようです。これを政治権力で行って国が破滅するのが歴史から学べるところです。
しかし、資本主義の変貌によって、政治権力以外に、マネーゲームの活用によって、格差を作り出すという新しい問題が、マネー資本主義と共に起きてきています。
日本国民は、自分たちが「自助、共助、公助」のどんなバランスを望んでいるのかを菅総理に、真摯に、丁寧に教えてあげる必要があるようです。